建設・不動産開発における生態系サービス価値の将来予測:気候変動等を考慮した評価手法とビジネス活用
建設・不動産事業における長期視点の重要性と将来予測の必要性
建設業や不動産業は、土地の利用や開発を通じて自然環境と密接に関わる事業です。サステナビリティへの関心の高まりとともに、事業活動が生態系サービスに与える影響を評価し、その経済的価値を可視化する取り組みが進んでいます。多くの場合、これらの評価は現在の状況や比較的短期的な影響に焦点を当てて実施されます。
しかし、気候変動の進行や生物多様性の損失といった地球規模の環境変化は、将来にわたって生態系サービスの供給量や質を大きく変化させる可能性があります。これらの長期的な変化は、建設・不動産事業にとって予期せぬリスクをもたらす一方で、新たな事業機会を創出する可能性も秘めています。例えば、将来的な水資源の枯渇は水源涵養機能を低下させ、特定の地域の開発に制約をもたらすリスクとなり得ますが、治水・利水機能を高める緑地インフラ整備は新たな事業機会となり得ます。
持続可能な事業戦略を策定し、将来の不確実性に対応していくためには、現状の評価だけでなく、将来の環境変化がもたらす生態系サービス価値の変化を予測し、これを事業計画や投資判断に組み込んでいくことが不可欠です。本記事では、建設・不動産開発における生態系サービス価値の将来予測に焦点を当て、その評価手法、ビジネスへの活用方法、および留意点について解説します。
将来予測を含む生態系サービス評価の意義
将来予測を含む生態系サービス評価は、主に以下の点で事業に貢献します。
- 将来リスクの特定と評価: 気候変動(海面上昇、洪水頻発、熱波、干ばつなど)や土地利用変化(都市化、農業化など)が生態系サービスの供給量や質に与える長期的な影響を予測し、それらが事業資産(物理リスク)や事業継続性(操業リスク)、あるいは規制・市場の変化(移行リスク)に与えるリスクを評価できます。
- 将来機会の特定と評価: 将来的に価値が高まる可能性のある生態系サービスや、環境変化への適応・緩和に貢献する事業活動が生み出す新たな機会(例えば、再生可能エネルギー関連開発、グリーンインフラ整備、エコツーリズム関連施設など)を特定し、その価値を評価できます。
- 長期的な意思決定の質の向上: 将来予測に基づいた評価結果を、新規開発プロジェクトの選定、既存資産ポートフォリオの最適化、投資判断、長期的な事業計画策定などの重要な意思決定プロセスに組み込むことで、より情報に基づいた、レジリエントな意思決定が可能となります。
- ステークホルダーへの説明責任: 投資家や地域社会などのステークホルダーに対し、将来の環境変化をどのように事業計画に取り込み、長期的な価値創造とリスク管理を行っていくのかを具体的に説明するための根拠となります。特に、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)などのフレームワークでは、将来のシナリオに基づいたリスク・機会評価と開示が推奨されています。
将来予測に活用される評価手法・アプローチ
生態系サービスの将来価値を予測するためには、複数の手法やデータの組み合わせが必要となります。
- シナリオ分析: IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が示す将来の温室効果ガス排出シナリオ(例: SSPs)や、様々な土地利用変化の予測シナリオなどを活用します。これらのシナリオに基づいて、将来の気候条件や土地被覆の変化を想定します。
- 生態系モデル: 気候や土地利用の変化が、特定の生態系(森林、湿地、河川など)の構造や機能、そしてそこから得られる生態系サービス(炭素固定、水質浄化、洪水調節、レクリエーションなど)にどのように影響するかをシミュレーションするモデルを使用します。例として、生物多様性モデル、水文モデル、植生モデルなどがあります。
- 経済モデルとの連携: 生態系モデルによって予測された将来の生態系サービス供給量の変化を、経済価値評価手法(代替費用法、損害回避費用法、旅行費用法、ヘドニック法、仮想評価法など)を用いて経済価値に換算します。この際、長期的な評価では将来価値を現在価値に割り引くための割引率の適用も重要な論点となります。
- GIS(地理情報システム)およびリモートセンシングデータ: 現状の生態系状態や土地利用に関する詳細な空間データを提供し、生態系モデルの構築や将来変化の予測モデルの入力データとして活用されます。将来の土地利用予測などもGIS上で視覚化・分析できます。
- 専門家判断と定性評価: モデルによる定量的な予測が難しい要素や、不確実性の高い将来シナリオについては、生態学、水文学、気候学、経済学などの専門家の知見に基づいた定性的な評価や判断も重要となります。
具体的な評価プロセス
将来予測を含む生態系サービス評価は、以下のステップで進められます。
- 目的と範囲の設定: 評価の目的(例: 新規開発地の選定、既存ポートフォリオの長期リスク評価、TNFD開示への活用など)を明確にし、評価対象とする地理的範囲と将来の評価期間(例: 2050年、2100年など)を設定します。
- シナリオの選定と設定: 評価目的に沿った将来シナリオ(気候変動、土地利用変化、社会経済動態など)を選定または設定します。複数のシナリオを設定することで、将来の不確実性に対する感度分析が可能となります。
- 将来の生態系状態・機能変化の予測: 選定したシナリオに基づき、評価対象地域の将来の気候条件、土地利用、植生分布などを推定します。次いで、生態系モデル等を用いて、これらの変化が生態系の構造・機能、および生態系サービスの供給量に与える影響を予測します。
- 生態系サービスの経済価値評価: 予測された将来の生態系サービス供給量に基づいて、適切な経済価値評価手法を用いてその経済価値を換算します。将来の価値については、割引率を用いて現在価値に換算します。
- 事業へのリスク・機会評価: 予測された生態系サービス価値の変化が、事業活動に具体的にどのようなリスク(コスト増加、収益減少、資産価値低下など)や機会(コスト削減、収益増加、ブランド価値向上など)をもたらすかを評価します。
- 結果の分析と報告: 評価結果を分析し、主要なリスク、機会、およびそれらの経済的影響を整理します。分析結果は、意思決定者やステークホルダー向けの報告書としてまとめます。
ビジネスへの活用事例(建設・不動産分野でのイメージ)
- 新規開発プロジェクトの選定: 複数の開発候補地について、将来の気候変動シナリオ(例: 集中豪雨の頻度増加)を考慮し、関連する生態系サービス(例: 洪水調節機能)の将来価値変化とその開発地への影響(例: 浸水リスク増加、排水システムへの追加投資コスト)を予測・評価することで、長期的なリスクの低い、または機会の大きい候補地を選定します。
- 既存資産ポートフォリオの管理: 所有する不動産ポートフォリオ全体に対し、沿岸部の海面上昇リスクによる海岸保護機能の低下や、内陸部の水資源枯渇リスクによる水源涵養機能の低下が、各資産の物理リスクや維持管理コストに与える影響を将来予測に基づき評価します。この評価結果を基に、リスクの高い資産への対策投資やポートフォリオの見直しを検討します。
- グリーンインフラ投資の意思決定: 開発プロジェクトに緑地や湿地などのグリーンインフラを導入する際に、それが将来的に提供する生態系サービス(例: 大気浄化、ヒートアイランド緩和、生物多様性保全)の長期的な価値(例: 健康被害の低減、エネルギーコスト削減、地域魅力向上)を予測・評価することで、初期投資に対する長期的な経済的・社会的リターンを算出し、投資判断の根拠とします。
- TNFD開示: 評価で用いたシナリオ、予測される生態系サービスの変化、それらが事業にもたらす長期的なリスクと機会、およびそれらに対する企業の対応策を、TNFD推奨項目に沿ってサステナビリティ報告書等で開示します。
導入上の課題と留意点
将来予測を含む生態系サービス評価は、有用性が高い一方で、いくつかの課題と留意点があります。
- 不確実性: 将来の環境変化や社会経済動向には inherent(固有の)不確実性が伴います。複数のシナリオを用いることや、感度分析を行うことで、この不確実性を評価に組み込むことが重要です。
- データの制約: 将来予測モデルの構築や実行には、詳細な気候データ、土地利用データ、生態系に関する長期モニタリングデータなど、専門的かつ時空間的に整備されたデータが必要となります。
- 手法の複雑さ: 生態系モデルと経済価値評価手法を組み合わせるには、専門的な知識と技術が必要です。評価の信頼性を確保するためには、経験豊富な専門家や機関との連携が有効です。
- 結果の解釈と活用: 予測結果はあくまでシナリオに基づく可能性の一つであり、確定的な未来を示すものではありません。結果をどのように解釈し、不確実性を考慮しながら意思決定に活かすかが重要となります。
まとめ
建設・不動産開発における生態系サービス価値の将来予測は、単なる環境評価にとどまらず、事業の長期的なレジリエンス強化、リスク管理、そして新たな事業機会の創出に不可欠な要素となりつつあります。気候変動等の将来変化が生態系サービスに与える影響を予測し、その経済的価値を評価することで、より戦略的な意思決定が可能となります。不確実性は伴いますが、シナリオ分析や専門知識を活用し、継続的な評価とモニタリングを行うことで、将来にわたって持続可能な事業運営を実現するための一助となるでしょう。この評価を通じて得られた情報は、サステナビリティ報告書等での対外開示においても重要な役割を果たし、ステークホルダーからの信頼獲得にも繋がります。